「12月の一番忙しいときに、アルバイトさんがシフトに入ってくれない」。飲食店を経営していれば、一度は経験したことがある悩みではないでしょうか。その原因の代表が「106万円の壁」——パート・アルバイトの方が社会保険料の発生を避けるために年収を調整する、あの壁です。
2026年10月、この壁が大きく変わります。社会保険の加入条件から「年収106万円(月8.8万円)」という賃金の条件が撤廃され、「週20時間以上働くかどうか」だけで決まるようになるのです。
この記事では、何がどう変わるのか、飲食店に実際に起きること、そして9月中に終わらせておきたい準備3ステップを、現役で飲食店を経営する立場の実体験を交えて解説します。
目次
1. 何が変わるのか——「年収の壁」から「時間の壁」へ
これまでの加入条件
パート・アルバイトの方が勤務先の社会保険(健康保険・厚生年金)に加入する主な条件は、次の2つの掛け合わせでした。
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 時間 | 週の所定労働時間が20時間以上 |
| 賃金 | 月額8.8万円以上(年収換算で約106万円) |
このうち賃金の条件が、2026年10月に撤廃されます(2025年6月成立の年金制度改正法によるもの)。残るのは時間の条件だけ。つまり、年収をいくらに抑えていても、週20時間以上働けば加入の対象になります。
対象になるのは、まず「従業員51人以上の会社」
ここは正直にお伝えします。10月の変更で直接対象になるのは、従業員51人以上の企業で働く方です。個人経営の小さなお店は、今回はまだ直接の対象ではありません。
ただし、国は段階的な拡大を予定しています。
- 2027年10月以降: 企業規模の条件を段階的に撤廃
- 2029年10月: 従業員5人以上の個人事業所(飲食業を含む)まで拡大予定
つまりこれは「いつか全ての飲食店に来る話」の始まりです。小さなお店にとっても、対岸の火事ではありません。理由は次の章で説明します。
2. 飲食店に実際に起きること3つ

①「12月に人がいない」の構図が変わる
飲食店、特に居酒屋の12月は超繁忙期です。忘年会シーズンには、他の月の1.5倍ほど売り上がることも珍しくありません。
ところがこれまでは、106万円の壁のせいで「一番忙しい12月に、アルバイトさんがシフトに入れない」ということが毎年のように起きていました。本人は年収を超えたくない、お店は一番来てほしい——このすれ違いです。
年収の条件が消えると、対象になる職場ではこの「年単位の働き控え」が理屈の上ではなくなります。一方で、今度は「週20時間を超えたくない」という新しい調整が生まれます。年単位の調整が週単位の調整に変わるため、シフトは「月でならす」のではなく「毎週の設計」がより重要になります。
② 小さいお店にも「Wワーク経由」で影響が来る
自分のお店が対象外でも、影響はやってきます。鍵はWワーク(掛け持ち)です。
あなたのお店のアルバイトさんが、昼は大手チェーン(51人以上の企業)で働いているとします。10月以降、その大手側で社会保険に加入することになれば、本人の手取りの考え方が変わり、「どちらの店で何時間働くか」という配分が動きます。
つまり、自店が対象かどうかに関係なく、アルバイト市場全体で人の動き方のルールが変わるということです。学生・主婦(主夫)層の掛け持ちが多い飲食業は、この間接的な影響を最も受けやすい業界のひとつです。
③ 加入する人の人件費は「見た目より15%増える」
社会保険料は会社と本人が半分ずつ負担します。会社負担はおおむね給料の15%です。
時給1,200円の方が週20時間(月約87時間・月収約104,000円)働いて加入した場合、会社負担は月およそ15,600円。時給に換算すると、1,200円が実質約1,380円になるイメージです。
| 時給 | 実質時給(目安) | 週20時間・月の会社負担(目安) |
|---|---|---|
| 1,100円 | 約1,265円 | 約14,300円 |
| 1,200円 | 約1,380円 | 約15,600円 |
| 1,300円 | 約1,495円 | 約16,900円 |
| 1,400円 | 約1,610円 | 約18,200円 |
現役オーナーの実体験:
以前、スタッフの社員化を進めた時期がありました。時給に換算すれば、社員もアルバイトもそれほど変わらない——そう思っていたのに、社員に変えた途端、会社負担の社会保険料が想像以上に増えて、本当に驚いた経験があります。表面の給料だけを見ていると、見えないコストがある。今回の制度変更でも、まったく同じことが起きます。
最低賃金の引き上げ(2026年10月適用・全国加重平均1,176円)と同じタイミングで来る変化です。「売上は変わらないのに利益が減った」を防ぐには、事前の計算がすべてです。
3. 9月中に終わらせる準備3ステップ

ステップ1: スタッフの労働時間の棚卸し(30分)
全スタッフについて、「契約上の週の時間」と「実際の週の時間(直近1ヶ月平均)」を一覧にします。見るべきは週20時間の前後にいる人が何人いるか。ここが見えないと、シフトも人件費も判断できません。
多店舗経営の場合、対象の判定は法人全体の従業員数で変わります。自社が51人以上かどうかを最初に確認してください。
ステップ2: 本人と「壁の中身が変わる」話をする(1人5分)
働き控えをしていた方に、「年収の壁はなくなり、今後は週の時間で決まる」ことを伝えます。そのうえで本人の希望を聞きます。
- 扶養の範囲で働きたい方: 週20時間未満でシフトを設計する
- しっかり稼ぎたい方: 加入を前提に、シフトを増やす相談をする
大切なのは、加入がマイナスだけではないと伝えることです。厚生年金で将来の年金額が増え、ケガや病気で休んだときの傷病手当金も付きます。「稼ぎたい人にとっては、むしろ堂々と働ける制度変更」という面があります。12月のシフト希望は、この新しい前提で9月のうちに聞き直しておくのが理想です。
ステップ3: 人件費を「実質時給」で再計算する
加入見込みの方については、時給×1.15で人件費表を作り直します。そのうえで、繁忙期(12月)の売上見込みに対して人件費率が何%になるかを試算します。ここまでやって初めて、「12月に何人入れられるか」「値付けをどうするか」が数字で決められます。
この棚卸しと再計算は、手作業ならエクセルで半日ほどの作業です。勤怠データが自動で集計される環境なら、週の労働時間一覧は数分で確認できます。方法はどちらでも構いません。やるか、やらないかです。
4. よくある質問(FAQ)
Q1. うちは従業員10人の個人店。今回は何もしなくていい?
A. 直接の加入義務は発生しませんが、②のWワーク経由の影響と、2029年に予定される個人事業所への拡大を考えると、ステップ1の棚卸しだけは今のうちにやっておく価値があります。人の取り合いが激しくなる12月の前に、スタッフの希望を把握しておくこと自体がシフトの武器になります。
Q2. 週20時間ギリギリの人はどう扱えばいい?
A. 本人の希望次第です。扶養内希望なら20時間を確実に下回る契約に整理し、稼ぎたい人なら加入前提でしっかり入ってもらう。中途半端な「20時間前後をうろうろ」が、お店にとっても本人にとっても一番管理が難しい状態です。
Q3. 社会保険に入るとパートさんの手取りは減る?
A. 目先の手取りは保険料の分だけ減りますが、厚生年金・傷病手当金・(要件を満たせば)出産手当金などが付きます。また会社が保険料の半分を負担するため、「本人負担分を時給アップで補う」交渉が業界全体で増えるとみられます。採用競争の観点では、ここを先に設計したお店が有利です。
Q4. いつまでに何をすればいい?
A. 施行は2026年10月。逆算すると、9月中に「棚卸し→本人面談→実質時給の再計算」の3ステップを終え、10月からの新ルールで11月・12月のシフトを組むのが理想的なスケジュールです。
まとめ
- 2026年10月、社会保険の「106万円の壁(賃金要件)」が撤廃され、週20時間以上だけで加入が決まる(まずは従業員51人以上の企業から。段階的に拡大予定)。
- 飲食店に起きる3つの変化: ①12月の働き控えの構図が「年収」から「週の時間」へ変わる ②Wワーク経由で小さな店にも影響 ③加入者の人件費は実質15%増。
- 9月中の準備3ステップ: 労働時間の棚卸し → 本人面談 → 実質時給での再計算。
制度の変化は止められませんが、先に知って先に動いたお店から順に有利になります。特に12月の繁忙期を控えたこの時期の準備が、年末の利益を左右します。
※本記事は2026年9月2日時点の公表情報に基づいています。個別の加入判定・手続きは、年金事務所または社会保険労務士にご確認ください。
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